蝉が鳴き始めましたね。
蝉の声が聞こえてくると、梅雨が終わったんだな~と感じます。世間で「梅雨明け宣言」が出たのかどうか知らないのですが、私の中では、「蝉が告げる梅雨明け宣言」の方を信頼してます。
蝉と言えば、短いいのちの代名詞って感じですよね。地上に出て7日間しか生きられないという、蝉の生態・・・ 可哀そうだと思ってしまうのですけど・・・。
◆◆◆ 蝉は、自分を「短命」だと思っているのか? ◆◆◆
おそらく蝉は、地上での生が7日間であることを、悲しいなんて全然考えてないんじゃないでしょうか。
「そういうものだ」と、あたりまえに受け止めているんじゃないかなと思うんです。
7日を「短すぎる」と感じるのは、何十年も生きるのが普通だという基準を持っているから。
でも蝉にとっては、基準は「地上で7日」なんですよね。
◆◆◆ 「いのちの長さ」の基準は? ◆◆◆
聖書をを読むと、「創世記」に出てくる人類の最初の頃の人たちってものすごい長寿なんですよ。
最初の人、アダムは930歳 まで生きたと書かれています。「ノアの箱舟」で有名なノアは950歳 まで生きたそうです。
900年の人生・・・うらやましいって思いますか?
私は、「900は、長すぎる・・・」って思いました。
うらやましいなんて全然思わない。むしろ「それは勘弁してください」って感じです。
このへんの感覚は、人それぞれでしょうし、どう思いますかと調査したわけでもありませんが、おそらく、多くの方が「ここまでの長生きはちょっと・・・」と思われるんじゃないでしょうか。
◆◆◆ 短いいのちを「かわいそう」と思わなくてもいい ◆◆◆
ここで話を転じて、
短いいのちで亡くなった赤ちゃんのことを考えてみたいのです。
生まれて間もなく亡くなった赤ちゃん。胎内で亡くなり、外の世界を知ることがなかった赤ちゃん。
私たちは、赤ちゃんとのお別れを悲しみ、深く傷つきました。
一緒に行きて一緒に経験するはずだったあれこれを思い浮かべ、大切なあの子がここにいないつらさを味わっています。
お別れは、もちろん悲しい。
だけれども、赤ちゃんのいのちが短かったこと自体を「かわいそうだ」と思う必要はないと思うのです。
きっと赤ちゃんは、「そういうものだ」とわかっていたんじゃないでしょうか。
蝉が、地上では7日間といういのちを生きるのが当然であるように、
赤ちゃんは、自分に与えられたいのちの期限を知って、受け入れた上で、来てくれたんじゃないかと思うんです。
なぜ、短い時間しか与えられなかったのか・・・それは誰にもわかりません。
赤ちゃんに限らず、わたしたちのいのちの長さを「なぜですか」と問うても、答えられる人はいないのです。
◆◆◆ 短い期間だからこそ・・・ ◆◆◆
蝉が、短い日々をせいいっぱい生きるように、
きっとあなたの赤ちゃんも、おなかの中での時間を思い切り味わい、楽しんでくれたにちがいありません。
むしろ、短い期間だからこその、特別な輝かしい時間だったかもしれません。
私たちだって、人生のすべてを覚えてなんかいられないけど、数日間の旅行の思い出は年月が経っても鮮明だったりしますよね。そんな感じかもしれないなと、私は思います。
◆◆◆ いつか会う日を心に描いて ◆◆◆
悲しみは消えない・・・。
だけど、赤ちゃんを「かわいそうだ」と思うことは、やめにしませんか。
いつか天国であの子に会ったときには、きっと、親である私たちが覚えているよりもっと多くの鮮やかな思い出話を聞かせてくれると思います。
この記事へのコメントはありません。