流産・死産をしてしまったら、自分を責める気持ちが沸き起こってきます。
あなたは、そんなお気持ちではありませんか?
だけど、赤ちゃんが生まれてくるのか、そうでないのかは、あなたのせいではなくて、きっとはじめから決まっていたことだったんだと思うんです。
◆◆ 「・・・のせいかも」は、決定要因じゃない ◆◆
流産・死産になってしまったとき、自分を責める材料は、山ほど思い浮かびます。
「~してしまったからだ」
例えば、「あのとき転んでしまったからだ」「コーラを飲んだからだ」「ホラー映画を見たからだ」「妊娠シンドイって、思ってしまったからだ」etc. etc…..
あるいは
「~しなかったからだ」
例えば、「睡眠を充分とらなかったからだ」「●●のサプリを飲まなかったからだ」「腹巻をしなかったから冷えてしまったのかも」「お参りに行かなかったからだ」etc.etc…..
「これが原因かも」と思い当たることは、探せばいくらでも掘り起こせてしまいます。
でもね、どれもこれも、決定的な要因ではないと、私は思います。
だって、どんなに過酷な状況であっても、生まれてくる赤ちゃんは、生まれてきます。
◆◆ どんな状況でも生まれるときは生まれる ◆◆
つらい話ですけど、DVなどの悲惨な状況であっても、妊娠を望んでいなくても、それでも生まれてくる赤ちゃんがいます。
危機的な生活の中で、妊娠に気づくこともないまま過ごし、赤ちゃんを産む女性だって、世の中にはおられます。
赤ちゃんのために「必要」と思われること、
体を大事にするとか、心の安定を保つとか、そんなこととは無縁の、ズタズタの妊娠期間をすごしたって、
生まれる赤ちゃんは、生まれるのです。
逆に言えば、
どんなに気をつけていても、どんなに大切にケアしていても、
生まれないことになっている赤ちゃんは、生まれない・・・
◆◆ 赤ちゃんは、わかったうえで来てくれた ◆◆
「生まれないことになっている」という言い方は、かなりキツイ言葉だったかもしれません。
傷つけてしまったら、ごめんなさい。
だけど、たぶん、赤ちゃんが生まれて来るかどうかは、最初から決まっているんだと思うんです。
最初って、何?って感じですけど・・・
私は、肉体が形をとる以前に、魂の存在として赤ちゃんは生まれると思っていて。
そして、母体に入るときには、すでに赤ちゃんの「進む道」は決まっているんじゃないかと考えています。
赤ちゃんは、すべてわかったうえで、あなたのおなかの中に来てくれたんです。
余命宣告を受けた方が、「毎日を、一日一日、大切に過ごすようになりました」などとおっしゃることがありますよね。
遠からず終わることがわかっているからこそ、生きている一瞬一瞬を味わうようになる・・・
きっと赤ちゃんは、自分の肉体の、いのちの期限をわかっていて、
おなかの中での期間を、楽しんでくれたと思います。
◆◆ 赤ちゃんを愛していたんだから、それでいい ◆◆
もしかすると、「その短い期間、私は、赤ちゃんに喜んでもらえるようなことをしてあげていない」と、
さらに自分を責める気持ちが強まってしまう方も、あるかもしれません。
でもね。そうやって自分を責めてしまうほど、あなたは赤ちゃんを大切に思っていたんですよね。
あなたが今、生まれて育っていくことができなかった赤ちゃんのことを、こんなにも悲しく感じている、そのことは、赤ちゃんへの愛情の証です。
赤ちゃんは、その「愛情」をこそ、いちばん求めていたはず。
だから、赤ちゃんは、ちゃんと、そのいちばん大切な「愛情」を、味わってくれていたと思うんです。
私は、流産でお別れしたわが子に天国で会ったら、あの子の「思い出話」を聞いてみたいと思っています。
「あのときは、困ったわ~!」なんて、苦情もいわれてしまうかもしれませんけど、きっと笑顔で、「しょうがないなあ!」って感じで言ってくれると思う。
どうか自分を責め続けないでくださいね。
赤ちゃんは、全部ちゃんと、わかってくれています。
あなたが、心穏やかな今日をすごすことができますように願っています。
私は、あなたの心の痛みを和らげるお手伝いをしたいと思っています。
よかったら、声をかけてくださいね。
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